なおし家鍼灸院

なおし家コラム

前編:ふたりで語り合う“西荻愛”

ゆかりの人対談 第4号
石原 正康さん

ベストセラー編集者として

院長
「今日は、石原正康さんに来ていただきました。お忙しい中ありがとうございます。まず、お仕事の紹介からよろしいですか?」
石原さん
「幻冬舎という出版社に、編集者として26年勤めております。その前も編集の仕事をしておりました」

院長
「手がけられた作品…」
石原さん
「よく知られているところでは、五木寛之さんの『大河の一滴』や、村上龍さんの『13歳のハローワーク』などですね」
院長
「数々のベストセラーを世に送り出している、日本にとってホントに大事な方だと思っています」

西荻に惚れたふたり

院長
「しかも石原さんは西荻窪、なおし家の近くに住んでおられるんですよね」
石原さん
「はい、今の家に住んで15、6年になりますが、30代の頃にも西荻に10年住んでいました。それから外に出たんですけど、どうしてもまた西荻に戻りたいと思いまして、頑張りました(笑)」
院長
「私と一緒ですね~。私は大学生の時です。関西にいたんですけど、あるご縁で西荻にきて、ここいいなあ~!って。惚れちゃったんですよ」
石原
「ええ~、どういうご縁でまた?」

院長、西荻に来たきっかけ

院長
「大学2年の時に、一人でスペインに行ったんですが、そこで、めるくまーる社という出版社の和田さんという方に会うんですね。その方に勧められた本がラジニーシの「存在の詩」という本でした。これを読んでぶっ飛んでしまって、その後、インドにいくんですが(笑)まあ、それはおいといて、4年生の時のゼミのテーマが“日本人にとって大切なものは何か”だったんです」
石原さん
「ほー、すごいですね、学部は何だったんですか?」
院長
「学部は経済学部だったんですけど、違う大学の社会学部の先生に出会ったんですよ、あの上野千鶴子さんです。あの頃はまだ若くて、ちこちゃんって呼んでましたけど、ファンでよく出入りさせてもらってました」
石原さん
「へ~、面白いですねー」
院長
「上野さんの影響で女性学にも興味を持ちましたね。で彼女に自然食とか、マクロビオティックを教えてもらって、日本人にとって大切なもの“お米だ!”とー。それで、お米の情報がどこにあるのかと思って、スペインで出会ったメルクマーク社の和田さんに聞いたら、言われたんです。“西荻窪のほびっと村に行きなさい”って」
石原さん
「ああ、なるほど、そう繋がるんですね(笑)」

若者文化、自然食の発祥地「ほびっと村」

院長
「ええ、それが西荻に来たきっかけだったんですが、すごい場所だなあ~って驚きました。ほびっと村は、当時ヒッピーの聖地で、日本の自然食とかエコロジー運動の出発点でしたね」
石原さん
「そうそう、ほびっと村は1970年代の若者文化の中心地だそうですね。それと、ほびっと村のレストランは食事も美味しいですよね~。イワシの梅煮とか。本当に自然で体にいいものしか使ってませんよって言うのが、よくわかりますよね」
院長
「玄米定食は、日本の草分けらしいですよ」
石原さん
「角谷さんにとっては、お米が東洋医学につながる出会いだったんですね」
院長
「そうなんですよ。ほびっと村のプラサード書店で、聞いたんですよね。お米で病気を治す世界で一番有名な日本人がいるって。それが、マクロビオティックを作ったジョージ・オーサワ、桜沢如一だったんですね。それからですね、桜沢の弟子の話を聞いたらこれが面白くて、それからマクロビオティックや玄米、東洋医学や東洋哲学とかに興味を持ちました」

ふたりの共通点「インド」

院長
「そのあと、和田さんから勧められた本の影響でインドに行きました。今、和尚と呼ばれてますけど、覚者ですね、悟った人の道場に行ってー。大学3年の冬に行って、2ヶ月くらいで帰る予定が、戻ってきたのは大学4年の7月でした(笑)」
石原さん
「長々といたんですね(笑)実は僕も、インドのラジニーシを訪ねに行ったことがありますよ。すごい所じゃないですか」
院長
「え、石原さんも行ったんですか??(驚)」
石原さん
「吉本ばななさんと行きましたよ。1990年頃ですかね」
院長
「そうですかー!なんと。もうラジニーシは亡くなってましたかね。私はまだ生きてるころで、毎朝、講義してくれてました」
石原さん
「あの頃、サイババも大ブームでしたね」
院長
「そうそう、インドの時代でしたよね」
石原さん
「横尾忠則の『インドへ』も読んでいいなあって。横尾さんとも何度か仕事をしました。本の装丁をお願いしていました」
院長
「ほ~、そうですか。僕らの時代、横尾さんも憧れの人でしたよね」
石原さん
「文化をひっぱっていた人ですね」
院長
「そうそう、その文化を引っ張っていた人の一人が、ラジニーシの本を出した、めるくまーる社の和田禎男さんって方ですね、もう亡くなられましたけど」

里山的な魅力、西荻となおし家

石原さん
「僕もその方の本を、何か読んでいる気がしますねー。でもやっぱり、西荻に惹かれるっていうのは何かあるんですよねぇ」
院長
「そう、西荻から『名前のない新聞』というのを出してて、それが波紋をよんで若者の文化を創っていったというー。そういう文化が西荻にはあるんですよね」

石原さん
「そうなんですよね。実は僕は生まれが新潟なんです。西荻のとなりの吉祥寺って、何となく新潟市と似てるんです」
院長
「ほ~、そうなんですか」
石原さん
「西荻は、都会でもないし、田舎でもないし、里山的な場所、気楽なんですよね」
院長
「そうそう、西荻って古い人も新しい人も大事に
してくれて、よそ者扱いしないんですよね、古いものと新しいものが一緒になっていて、しかもスピリチュアルでー。西荻は、気がいいんで治療院やりたいって感じになるんですよね」

石原さん
「そうそう、なおし家は場所がすごくいいと思います。駅から近いのもあるんですけど、いつ来てもどこかに陽が当たっていて。
近くに八百屋さんや中華料理屋さんがあって、雑な音が聞こえてくるんですけど、それがかえってほぐれるんですよね。金ピカピカのメタリックでないところがいいですし、この畳の感じが、来ただけでホッとする
ような、安心する感じがありますよね」
院長
「私も、温泉旅館とか好きで(笑)」
石原さん
「ちょっと温泉旅館ぽいですね(笑)」
院長
「もともとここは大家さんのお家だったんで、ビルなんですけど、中に入ると和室なんですよね、窓も大きいし、光も入るんですよ」
石原さん
「しかも、西荻らしい光ですよね。施術は場所が大事で、このなおし家はほんと、気の通りのいいところですね。
僕は色々海外にも行きましたけど、教会や神社、寺って大体気のいい所にありますよね。アルゼンチンに行った時も、イエズス会の教会ってものす
ごいいい気の土地に建ててあるから、癒されるし活力も湧いてくるし。そういう所だから宗教も成り立つのかなあと思いますよね。
なおし家は、場所として気の通りとしても抜群のところです。気があって眺めもいいところですしね」
院長
「ありがとうございます、嬉しいなあ。ここで施術を始めてもう24年ですけど、自分でも大好きな場所です」
石原さん
「それから院長の施術は、朝と午後でかなり違う印象があります。朝は、スカッとしていて、夕方はエネルギッシュに攻めてくる感じで、それ
がまた面白いですね」
院長
「ありがとうございます。そんなこと言われたのは初めてだなあ(笑)」